幸せの基準
幸せの基準とはいったなんなのだろうか?
こんなことを考えたことはありませんか?
我輩は、ほとんどない。
実は、過去も現在もすべて幸せだったからだ。
苦しい時、辛い時、心が折れそうな時は、かなり多くあった。
その時は、当然、落ち込んだりもした。
しかし、不幸だとは思ったことはない。
理由は、根っからのアホだからだ。
考えることが面倒で、考え出すとすぐにフリーズしてしまう。
気がつくと、行動していて、悩んでいる暇がなかったからだ。
普通の人からみると、我輩は不幸に見えるのかもしれない。
心臓病を患って生まれてきた長男がいつ死んでしまうのか毎日不安で押しつぶさ出そうな日々を過し、独立後、大きな資金を失いドン底を経験した時も毎日、どうやって資金繰りしようかと悩んだ挙句、自分の保険金しか考えられなくなった時、当時は、本当に辛かったが、決して不幸だとは思ったことがなかった。
今でもまだチャレンジしていることで幸せを感じるし、そうやって生きていること自体が幸せなのだ。
人生とは何か目標を持って行動することが幸せなのだと感じる今日この頃だ。
そんな中、先日、ある本で幸せとは何かといったテーマの内容が書かれてきた。
その本によると、幸せとはその人が幸せだと思うことが幸せだと書かれていた。
非常に意味のある言葉だ。
どんなに貧乏でも、不自由する生活を送っていても、幸せだと思っていれば、その人は幸せなのだ。
逆に、どんなにお金持ちでもしあわせだと思っていなければ、その人は不幸せなのだ。
ようするに全ては自分次第。
我輩は幸せだな〜(^-^)/
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